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大学入学後、文学部から農学部へ編入したお話

初めまして。
現在、とある企業で農学系研究員として働いているHaruといいます。

突然ですが、わたしの経歴は少し変わっていて、
旧帝大の文学部に入学後、1年で農学部へ編入しているんです!

なんのために、そしてどうやって編入したのか、今回はその実体験をご紹介したいと思います。

高校の文理選択での失敗

事の始まりは、高校生の時でした。

私の出身高校では2年生に進級する際に文系と理系どちらに進むか選択しなければいけませんでした。

今思えば文理選択って就職にまで関わってきますし、人生を左右する大きな決断ですよね。
しかし、当時高校1年生のわたしはそんなに深く考えておらず、英語が得意だったことに加え、数学が壊滅的に苦手だったため、担任の先生に勧められるがまま文系へ進みました。

その後、2年生へ進級すると生物の授業が始まり、わたしはそこで人生を左右することになるものと出会います。
それは、「遺伝子組み換えや品種改良で、砂漠でも育つ植物がつくれるかもしれない」という先生の言葉です。
わたしはその技術の可能性にかなりの衝撃を受けました。
そして、「アフリカなどの乾燥地帯で作物が育てられるようになれば、飢餓に苦しむ人を救えるかもしれない」と考えたのです。

その時の感動や想いは今も忘れることができないほど鮮明で、興奮したわたしは、わなわなしていました。
そして居てもたってもいられず、学年主任のもとへ走り、理系へ移りたいと交渉しました。カリキュラム上、残念ながら理転は認められませんでしたが、そうですかと諦めることもできず……

大学で農学部に入学すればいいのだと思い、独学で数学III・Cやその他必要な科目を勉強しようとしましたが、あまりの無謀さに気付き途中で断念しました。

その後は気持ちを切り替えて、得意な英語を活かし、文学部へ進むことを決めました。
そして猛勉強の末、志望大学に合格したわたしは文学部へ入学したのです。

大学入学後に感じた違和感と、希望の光


入学後は初めての一人暮らしや新しい友達、サークルなど、初めてのことに浮かれながら楽しいキャンパスライフを過ごしていました。

しかしその中で一つ大きな違和感を覚えてしまいます。

通っていた大学の文学部では、英語の文法や歴史など、言語そのものについて深く学ぶ授業がメインでした。ところが私は、英語を話したり書いたりすることは好きでしたが、言語としての興味はあまりなかったのです。

その違和感に気付いてしまって以降、モチベーションが維持できなくなり、授業にも今一つ身が入らなくなりました。

そんな中、ある先輩と出会います。
その先輩は文系の学部から理系の学部へ編入したというのです。

わたしはその話を聞いて自分も農学部に編入できると思い、すぐに学生係まで飛んでいきました。詳しく話を聞いたところ、理系学部から別の理系学部への編入はそのまま進級できるが、文系から理系への編入は必修科目の単位が足りず、1年生からやり直さなければならないとのことでした。
1年生からのやり直しと言うことは、親にプラス1年分学費を出してもらわなければならないということ。わたしはものすごく悩みました。

しかし、ずっと願っていたことがやっと叶うかもしれない。チャンスを逃してはいけないと強く思いました。


親に話すときはプレゼンのように資料と熱意のこもったレポートをまとめて、ドキドキしながら話しました。その結果、無事両親からの承諾を得て、編入の試験をうけることができたのです。

編入試験で聞かれたこと


試験の内容についてですが、実は私の大学では科目試験はありませんでした。

まず、入試の成績と、入学後の成績が決められたラインを超えていることが受験資格の条件です。
それをクリアすると、その後は志望理由をまとめたレポートと面接があります。

わたしはレポートに今までの自分の想いと農学部に入ってから学びたいことを書き綴りました。さらには何を聞かれても答えられるように、そのレポート1行ごとに予想される質問を書き出し、面接対策をする日々。
もちろん、そのころ話題だったTPPなどの農業関連の時事問題も多少勉強はしました。
しかし、それよりも1年間卒業が遅れてでも編入したいわたし自身に質問が多く来ると予想し、自分自身を見つめなおすことに重点を置きました。

面接当日は学長や編入先の学部長をはじめとする錚々たるメンバーに一瞬ひるみそうになりましたが、思いの丈をぶつけました。予想もあたり、「なぜ編入したいのか」「編入したら何がしたいのか」をとても詳しく質問され、時事問題は一つも聞かれませんでした。


そして約1か月後、無事、編入合格の知らせを受け取りました。



生物の授業で衝撃を受けたあの日からずっと想い続けてきたので、学べることがとても嬉しかったのを覚えています。家族も友達も、みんな喜んでくれました。

編入後の孤独な闘い


しかし、本当の試練はここからでした。

編入先の農学部の学生たちは数学III・Cや物理などを高校で勉強しています。そのため大学での授業も履修済みの前提で進んでいくのです。
当然わたしは全くついていけず、居残り、追試の日々でした。

さらに急な編入だったこともあり、各授業の空きがあるところに頼み込んで入れてもらう形だったため、友達と離れ離れで一人で授業を受けることも多く、孤独な日々でした。

入ってからがあれほど大変だとは予想していませんでしたね。一応進学校を出ているはずの自分が90分の授業で何一つ分からず、涙を流しながら居残りをさせられる。あれはなかなか強烈な体験でした。


そんなわたしも2年、3年と進級していき、無事、入りたい研究室にも入ることが出来ました。研究室でのテーマは、「作物の乾燥耐性機構の解明」。まさに私の学びたいことでした。

卒業後は大学院に進みたいと考えていましたが、大学では実用的な品種改良に携わることはできないと考え、就職する道を選びました。

そして現在、品種改良を行っている会社で研究職に就いています。

最後に……


ここまで色々なお話をしてきましたが、わたしの分岐点は間違いなくあの時の生物の先生の言葉と、編入を決断したことでした。
あの出来事で人生は180度変わりました。

文学部だった私が、農学部へ編入し、農学系研究員として働いている。
今でも不思議な気持ちになることがあります。

現在学生のみなさんも、今のままでいいのかと不安に感じたり、こんなはずじゃなかったと後悔したりすることも少なからずあると思います。
そんなみなさんにメッセージがあります。

「気が遠くなるほど長い人生の中では、1年や2年という年月は大したことじゃありません。
自分を突き動かす何かが少しでもあるなら、それに蓋をせずに一歩踏み出してみてください。
人生はちゃんと動きます。未来はちゃんと拓けます。後悔しないで。
今一番大事なものを見失わないでください。」


長くなりましたが、以上、Haruの「文学部から農学部へ編入したお話」でした。

Haru

Haru

25歳。現在とある企業で農学系研究員として勤めながらwebライターとして活動中。旧帝大卒で、文学部に入学後農学部へ編入。趣味はイラストを描くこと。(アイコン:Haru作)

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